食料自給を放棄することの意味
今日は午前中3反ほど田植をしただけ。
小雨も降っているし、田植も残り僅かなので気分的に余裕も出て来て、午後からは休息とした。
そこで久しぶりにパソコンの前にじっくりと座り、どっさりと溜まっているメーリングリストから送られてくるメールに目を通した。
39年ぶりに農地法の大規模改正が今国会で成立する見通しとなってる。
農地を耕作者が「所有」するという考え方から、一般企業なども含めた「効率的な利用」を促す方向に改めるそうな。
また、減反の見直しも濃厚な状況だ。
この二つの本当に意図するところは何なのだろうか?
日本の農業を議論する時、比較されるのがアメリカなどの大規模経営の農業だ。
そこで伝えられるアメリカ農業には負の部分はあまり見受けられない。
しかし現在のアメリカでは個人の農家が殆どいなくなっているということだ。
なぜか?
モンサントなどのアグリビジネスが、
種をどんどん特許登録、種子バンクの種も勝手にどんどん特許登録し、
そして他人の農地に「調査」として入り込み、
「オタクの農地からうちの遺伝子組み換え植物が見つかった。ついては金を払え」
というようなヤクザまがいの脅迫。
農家側では、うしろめたい事が何もないので、調査にきても最初は気にもとめない。
そして、金を払わないと裁判になるのだが、
裁判自体も出来上がっていて、
どんな理由で種が飛んでこようと、そこには触れず(たいてい風で飛んできたり、トラックからこぼれたりしたものが畑に混入する)
「特許」を優先し、農家に「企業への支払い命令」や「種子の廃棄」を言い渡す。
裁判の費用で、老後の貯蓄はなくなり、何十年もかけて作ってきた種子500キロを廃棄させられた人もいる。
こういう風に何千もの農家が彼らによっていいなりに金を払わされたり、訴えられたりしているという事だ。
結果、個人農家は激減となっている。
アメリカのこの実態をどのように見るのか?
話は戻るが、日本の農地法改正も、減反見直しも、行き着く先はアメリカと変わらないのではと考える。
個人の農家がなくなるということは、食料を企業が支配するということになる。
人間の尊厳、魂の自由、というのは食の自給があってこそだ。
食料という命綱を企業に握られるということは、
結局、人間が家畜化するということに他ならない。
日時:2009年5月28日 17:24